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9月12日(木)
昼食は動労千葉物販のソバ 大根おろし、トロロ デザート梨で300円
差し入れ・北海道のトウモロコシ 3時のお茶
3時のお茶
夕食はガーリック・トースト 「山利喜」のモツ煮に付けて
バジルのパスタ 差し入れ・イワシのトマト煮缶deイタリアン 海老のイタリアンサラダ
オカちゃんご飯 エシャロットで400円

 

徳島刑務所デモと歌の動画です。

 だ  ん   け  つ  2013年9月12日  
925
東京北部ユニオン
リサイクルショップ「街」分会
関町北4-2-11
 電話 3928-1378
 星野同志奪還へ430人が
9・8徳島刑務所包囲デモ
 「Give Us Back HOSHINO」「無実の星野さんを返せ」の看板が掲げられた吉野川の支流・鮎喰川(あぐいがわ)の河川敷。川上を眺めると徳島刑務所の職員官舎が建っている。その先が星野文昭同志がいる徳島刑務所だ。9月8日昼、「星野さんは今、刑務所の中で耳を澄ましています! 

 星野さんを奪還する第2弾の包囲デモで徳島刑務所に迫っていきましょう」。杉並星野文昭さんを救う会の狩野満男さんの第一声で「階級的労働運動の力で星野さんを取り戻そう!9・8徳島刑務所デモ集会」(同実行委主催)が始まった。全国労組交流センター、星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議を始め、全国から430人が集まった。
 最初に「愛する夫を返せ」と記されたたすきを身につけた星野暁子さんが発言に立った。大阪取り戻す会のNさんの9・2不当逮捕を弾劾し、さらに9・8参加を楽しみにしていた東京西部ユニオン・ダッシュ分会のKさんの急逝6月23日)を悼んだ後、暁子さんは「文昭は全身が耳になるぐらいみなさんの訪問を待ち望んでいます」と語り、6日の面会で受け取った文昭さんのメッセージを伝えた。「僕に対する権力側の弾圧は、今につながる労働者人民の団結で世の中を変えていく闘いをなんとしてもつぶそうとするものだ。それが無実を百も承知の無期攻撃だった。それに対してありとあらゆる困難をのりこえてつくり出してきた中身が今、新自由主義に対して闘う労働者の希望になっている。人間が人間らしく生きられる世の中をめざす生き方と、暁子との愛、そして仲間との団結があれば、どんな攻撃も粉砕して世の中を変えられる。そうした境地を今手にしている。団結してがんばろう!」
 昨年2・5徳島刑務所包囲デモの「首謀者」として徳島刑務所が金山克巳さん、仙田哲也さん、増上昭典さんの3人に対して面会・手紙・ 差し入れなど一切を「禁止」する処分を行ったことに対し文昭さんは、先日、監査官への苦情申立をしたという。「それは、みなさんへの心からのエールだと言っています。そして『集団面会なんだ。みんなに会うのを楽しみにしているよ』と伝えてほしいということでした。みなさんとの団結の力で解放をかちとろうとしているのです」と暁子さん。

 さらに、ついに刊行された『愛と革命』を紹介し、「文昭の獄中39年、ともに生きた29年。命をも奪う無期攻撃に対して文昭と私が愛と団結、対話を大切にしてよみがえり、すべての人間が人間らしく生きられなければ、自分も人間的に生きることはできないという思想を磨き、愛を貫いて希望にたどり着く様子が描かれています。私はこの本を新自由主義攻撃による困難と分断に怒るすべての労働者民衆に読んでほしいと思っています。絶望に見える攻撃の先に希望を見い出すことができるからです」。

 連日34度の酷暑、暁子さんは過酷な獄中処遇について、「汗だくになっても、夜寝る前に水を使って体を拭くことすら認められず、徳島刑務所は『洗面器2杯分の水を全員に配布する予算はない』と言っています。千葉刑務所では62歳の女性が熱中症で亡くなったばかりです。人が死ぬような状況に対して徳島刑務所が何も対策を取らないことは許されることではありません。きょうの徳島刑務所包囲デモは、文昭と全受刑者の命を守り、星野闘争勝利のための切実な闘いです」と訴えた。

 さらに暁子さんは「革命の時代に勝利する階級的労働運動は、国鉄と反原発と星野を掛け合わせた闘いだと私は確信しています。秋、全証拠開示運動をしっかりと闘っていきましょう。福島の怒り、沖縄の怒りと一体に動労千葉、動労水戸の闘いに続き、新しい時代に新しい団結を求めて、9・15国鉄集会、9・25判決闘争、11月労働者集会に決起して行きましょう」と呼びかけた。

 最後に「刑務所の門前で文昭の好きな『釜山港に帰れ』を歌います。文昭は『ベトナム戦争が激しかったころ、韓国からベトナムに行った兵士たちに帰ることを呼びかけた反戦歌。歌の苦手な僕が全部歌える数少ない歌なんだ。僕の気持ちをみんなに伝えてほしい』と言っていました。南北統一の願いも込めて、ぜひ文昭に声限りに届けましょう」。暁子さんの決意あふれる発言に全参加者の大きな拍手が応えた。

 続いて徳島市内で全国運営委員会を開催し、この日のデモに臨んだ全国労組交流センターの辻川慎一代表(動労水戸副委員長)が発言に立ち、「新自由主義に怒るアメリカ労働者の前にオバマ大統領はシリア戦争を決断できない状況だ。何が東京オリンピックだ。日本帝国主義に2020年があるのか、ないでしょ! フクシマの怒りが噴き上がっている。日本の怒れる労働者、とことん闘いましょう」と、階級的労働運動の力で星野さんを奪還しようと訴えた。

 徳島救う会から元木美起子さんと徳島医療福祉労組の青年労働者、星野再審弁護団の和久田修弁護士、動労西日本の山田和広書記長、動労千葉の田中康宏委員長が次々に発言した。和久田弁護士は「証拠開示運動を進め、たくさんの証拠を開示させる中で星野さんの無実は明らかになっている。もう一つの壁は、星野さんを絶対に出さないという国家権力の強い意志だ。この壁を打ち破るのが今日のデモだ。みなさんの怒り、みなさんの思いを届けていきましょう!」と力強く呼びかけた。
 さらに連帯あいさつが、NAZEN愛媛の日野亮さん、全学連・斎藤郁真委員長、全国水平同盟・岡邨洋委員長から行われた。

 徳島福祉医療労組の元木智之委員長が「ラブ・レボルーション『愛と革命』で星野さんを取り戻そう」とカンパアピールし、全国24の星野救援会を代表し、沖縄万人(うまんちゅ)の力で星野さんを取り戻す会の柿本博人さん、福島・取り戻す会の長沢宏さんが、きっぱりと決意を語った。

 すべての発言を受け、全国再審連絡会議の戸村裕実共同代表が「徳島刑務所の非人道的な処遇に対し怒りの声を上げよう。1日も早く星野さんを取り戻すために団結してがんばりましょう」とまとめの提起を行った。広島救う会が「警察に一指も触れさせず、星野さんとの団結をかちとろう」と行動提起を行った後、「釜山港に帰れ」を合唱し、「星野さんを取り戻すぞ!」とシュプレヒコール!

 心配された空模様は一変、夏の太陽が降り注ぐ中、一路、徳島刑務所に向かってデモに出発した。「星野さん! 会いに来ましたよ!」「無実の星野さんを取り戻すぞ!」「上窓を開けろ!」「水で体を拭かせろ!」

 地元住民の温かい声援の中、長蛇のデモが労働組合旗や全学連旗などをたなびかせて進んだ。デモには午前中の徳島駅前街宣で出会ったばかりの青年の姿もあった。刑務所前では、東京西部ユニオンの吉本伸幸委員長のリードで全参加者が「釜山港に帰れ」を熱唱した。この声が星野文昭さんに届いていることを確信し、デモを貫徹した。

 デモ終了後、星野暁子さんが「文昭との集団面会本当にありがとうございました。文昭は聞いています。一人ひとりの顔と声に向き合って感謝した思いで過ごしています。私はみんなとともに刑務所の前に立って、文昭が歩いて出て来る風景を思い浮かべていました。私たちが迎えに行く。文昭は歩いて来ます。その日のために明日からの闘いも、この腐った社会を変える闘いとひとつに文昭の思いを自らの思いとして闘っていきましょう!」。辻川さんが「僕たちは必ず勝利します。9・25どんな反動判決が出ようともわれわれは負けない」と宣言した。

 時代は動き出した。星野同志の闘いが、その時代の動きを加速させる。「3回目(のデモ)は星野さんを奪い返して迎えに行く時だ」(田中委員長)。全証拠開示運動を闘い、新しい時代の新しい団結で星野同志を取り戻そう!(M)

    全学連福島ブログ

9月11日(水)
9・15集会と「愛と革命」本の宣伝 三里塚の野菜 10万人署名
昼食は豚シャブ、ゴマソースで召し上がれ 16穀米 ジャガイモと玉ねぎの味噌汁
← 徳島土産
10万人署名 差し入れ 徳島で集会をした河原の石でアート
3時のお茶
夕食は今季初・豆乳鍋 新作・パスタ 16穀米+枝豆+タラコふりかけ
コロンビアのパト仕事帰り「街」で一服しないと帰れまテン バングラデッシュから来た新妻・日本語
学校に行ってるので凄い進歩
今季初の「街」屋台10万人署名 10万人署名 
高校生に10万人署名 通りかかった20代の建築労働者と飲み・話しました
徳島・星野闘争で

頑張ったミッちゃん登場

総括と焼酎
 2020年オリンピック東京開催決定は、安倍政権の絶望的な危機脱出の一個の階級戦争攻撃である。

 それは「3・11」をなきものにしようとする攻撃であり、なによりも放射能汚染、汚染水問題の抹殺であり、福島圧殺攻撃である。また新自由主義と闘う国際連帯への一大反革命である。

 だが同時にこの反動策動は、2020年をまたず、必ずや安倍の破綻点となって爆発することは明らかである。大恐慌と争闘戦、新自由主義の破綻・崩壊、福島第一原発事故の絶望的危機の進行は、断じてとどまらず、さらに激化していくからである。


 ※ブエノスアイレスの「安倍演説」のとんでもないデマゴギーについて、怒りをたぎらせ、徹底的に弾劾しなければならない。すでに福島では怒りが爆発している。

 「東京は世界で最も安全な都市の一つ」、
 「(福島第一原発事故は)コントロールされている」、
 「汚染水の影響は完全にブロックされている」、
 「日本の食品や水の安全基準は世界で最も厳しい基準だ」、
 「健康問題については、これまでも今も将来もまったく問題ないことを約束する」

という、どの一語一語も憎みてあまりある言動であり、すべてが大嘘である。このとてつもないデマゴギーは、大嘘をこえている。

 3・11事故、さらに第二の3・11ともいうべき汚染水問題のおそるべき抹殺であり、福島県民と東京の労働者階級人民への残虐な殺人的襲撃であるといって絶対に過言ではない。だがこの歴史上まれにみるデマゴギーは、そこまで追いつめられた脱落・日帝の姿である。 しかもそれは全世界に発し、放射能汚染水問題が大争闘戦となり、また全世界の労働者階級人民へ怒りを爆発させる。

 すでに韓国の「水産物輸入禁止」問題とは、激しい矛盾と激突となる。

 重大なのは、この発言とともに、安倍はシリアヘの「非難声明」への加担と米帝結託の戦争政策との取引をおこない、前代未聞のデマとペテンをもって「開催決定」を簒奪(さんだつ)したのだ。安倍政権は、地獄への道にのめりこんだのだ。

 ※ 1936年夏、ベルリンで「第11回オリンピック大会」。
 今では当たり前となっている開会式の「聖火リレー」は、ヒトラーによって初めて行なわれたものである。また、巨費を投じた競技施設と五輪史上初の選手村、擬似軍隊的な開会・閉会式、国家元首によるおごそかな開会宣言、「民族の祭典」というキャッチフレーズ、初のテレビ中継大会などなど、期間中の華麗な演出はまさに現代オリンピックの原型となった。この「ベルリン・オリンピック」は、ナチスの力を世界に誇示する場となり、「ヒトラーの大会」といわれた。

    全学連福島ブログ
ふくしま共同診療所の報告会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」 2013年09月08日 | 日記
  福島市のコラッセ福島で、ふくしま共同診療所の報告会が開かれました。昨年12月の開設からわずか9ヶ月ですが、福島の子どもたちの命と未来を守るという理念が、具体的なもの(戦慄すべき事態でもあるのですが)として展開されていることが、よくわかりました。

核心中の核心は、福島県の甲状腺検査によっては、子どもたちの被曝の実態が何も解明されないことを、公然と明らかに示したことです。そして、県の検査がいかに不十分であり、カルテの保存や追跡調査(検査)という点では、そもそもカルテやエコー写真の保存がされているのかどうかも曖昧です。甲状腺検査はあくまで健診で、患者について作成・保存義務があるカルテを作成する必要がないというのです。このように、検査情報そのものが、県および県立医科大によって隠蔽さえされかねない現実をも暴露しました。

こうした重要な活動が、医師・スタッフや建設委員会の仲間たちの献身的な闘いによって支えられています。診療所の第2次建設運動を軸にしながら、全国的な支援行動が必要とされています。
なお29万人が避難=原発事故収束見えず―東日本大震災2年半 時事通信 9月11日(水)4時37分配信
 1万8500人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から2年半となった。住宅再建が本格化するなど明るい動きが出る半面、岩手、宮城、福島3県などで被災した約29万人は今も避難生活が続く。東京電力福島第1原発がある福島県では、除染の遅れや放射能汚染水漏れ問題が復興に影を落とす。

 復興庁によると、8月12日現在の避難者は28万9611人で、この半年間に約2万5000人減少。ただ、放射能への不安を抱える福島県は県外避難者が5万2277人いる。

 福島第1原発では、放射能汚染水の管理が危機的な状況にある。貯蔵タンクからの大量漏出、地下水汚染などが相次ぎ発覚し、海洋汚染への懸念も強まり、事故収束への道のりは険しさを増している。

 警察庁によると、今月10日時点の死者は1万5883人、行方不明者は依然2654人に上る。3県沿岸部では11日、警察や海上保安庁などが1000人規模で不明者の一斉捜索を行った。 
<除染>福島7市町村、年度内の完了困難 避難者「つらい」 毎日新聞 9月10日(火)

<除染>福島7市町村、年度内の完了困難 避難者「つらい」

 環境省は10日、東京電力福島第1原発周辺の福島県内11市町村で国が進める除染で、7市町村について目標としていた今年度中の作業完了は困難で、年内をめどに市町村ごとに工程表を見直すと発表した。帰還を心待ちにする地元では不安や怒りの声があがった。

 計画では全市町村とも2012~13年度の2年間で作業を終える予定だった。だが、除染効果への疑問などから汚染土の仮置き場確保が難航し、計画は大幅に遅延。6月に計画に基づく除染を終えた田村市と、今年度中に完了見込みの川内村▽大熊町▽楢葉町を除く7市町村(飯舘村▽南相馬市▽川俣町▽浪江町▽葛尾村▽双葉町▽富岡町)は来年度以降に先送りされた。

 避難指示解除準備区域の川俣町山木屋地区から避難中の紺野竹子さん(72)は「来春には帰れると思っていたのに。8月に始まると聞いていた除染も遅れている。一刻も早く除染してほしい。終わる時期が分かるからこそ避難生活も我慢できる。計画の変更はつらい」と声を落とした。

 14年度内の除染完了を求める飯舘村の菅野典雄村長は「13年度内の除染完了という見通しの甘さは、認識不足が原因ではないか。『仮置き場が決まらない』などと地元のせいにするのではなく、住民の心情を理解した対応を」と求めた。

 佐藤雄平知事は「復興や住民の帰還と密接に関わるもので、見直しは遺憾。再除染や森林除染は地域の実情に合わせ柔軟対応を」とコメントした。【阿部周一、深津誠】

三里塚芝山連合空港反対同盟 動労千葉 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議 労組交流センター
動労千葉を支援する会
3・14法大弾圧を許さない法大生の会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」
とめよう戦争への道!百万人署名運動
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