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スケジュール

なにがなんでも全原発廃炉!
7・11東京集会


11日(木)18:00開場 18:30開会
座・高円寺2にて
Ticket 500円


お話
内部被ばくから子どもを守ろう!
 ふくしま共同診療所からの報告(医師)
ストライキで原発止めよう!
 被ばく労働拒否で闘う労働組合 動労水戸

東京に住む私たちの力を集めよう!
再稼動を許さず、すべての原発を廃炉にするために。
そして、子どもたちを内部被ばくから守るために。

ネット署名開始リンク


何故声を上げたのか http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-11565991854.html のブログから転載
いつも長いブログ読んでくれて有難う。


「原発」や「被曝」、「TPP」の事を書いて来たけど今回は自分の事を書くね。(まだ書かなきゃいけない事山積みだけど)

山本太郎の動機の部分を知らない人の為に。 宗教に入ったわけでも無く、誰かに操られてる訳でも無く、ただ生きてたい、って思いから始まった事を知ってもらう為に。

「何故、声を上げたのか」

僕は今、38歳。16歳の時から芸能界にいる。ひょんなキッカケからデビューして気が付けば随分長い間「役者」業をやらせて貰ってた。

最初は何となく流れに乗って始めた仕事だったから完全に舐めてた。

でも役者と言う「職人の世界」の奥深さを井筒和幸監督や深作欣二監督、伊丹十三監督に教えられ、魅せられて「これは一生賭けて取り組まなきゃいけない仕事」と思える様になったんだ。

映画撮影の物作りに掛ける活動屋(映画人をこう呼ぶ)達の仕事へのこだわり、舞台で吐きそうになる位の生の緊張感、旅番組じゃなきゃ一生出逢えなかった地の果てに暮らす人々との交流など、沢山の貴重な経験をさせて貰った。今でも僕の宝物だよ。

お金の為だけに受けた仕事もあった。食べて行かなきゃならないしね。

自分の気持ちが乗り切らなかった仕事だってあったよ。

沢山怒られたし、消えて無くなりたいって位に駄目だしをされた事もあった。

でも、自分にはいい職人になる!って大きな夢があったし、どんな嫌な事があっても、いつかこの感情を表現してやろう、ってポジティブに捉えられた。

兎に角、目の前にある自分の仕事と趣味の波乗りで頭の中は一杯だった。

そんな日々が一変したのが「東電原発事故」だった。

事故後、国の偉い人が言った「直ちに健康への影響はない」って言葉に背筋が凍った。

Mediaは国の発表を垂れ流すのみ。

事故は隠され、本当の事は目の前の経済を守る為に矮小化される、人間なんて簡単に切り捨てられると気付いてしまった。

「生きるんだ、生き残るんだ」って強い意志を持たなければこの先、自分の未来はないと確信した。

生きてなきゃ、「表現する」事も「嬉しい」事も「悔しい」事も感じられない。

自分が健康で生きていたいのは勿論だけど、一人ぼっちじゃ意味がない。

皆にも健康で生きててもらわなきゃ。

僕を口汚く誹謗中傷する誰かにも生きてて貰わないと。

酷い人がいるからこそ、愛情深い人との出逢いがより素晴らしいモノになるんだ。

だから、皆で生きたい、生き延びたい。

人間とは共存出来ない「核」

人間には制御出来ない「核」

僕たちの命を脅かす程リスクのあるモノとはサヨナラしなきゃ。

でも「原発をやめろ」「被曝をさせるな」って自分が口に出してしまえば、スポンサーが「神」である芸能界では生きて行けない。

「声を上げたい」けど「声を上げれば仕事は無くなる」

寝ている時に「メルトダウン!」って寝言を言ってしまう位にまでココロの中で二つの思いがぶつかり合って押しつぶされそうになった。

事故後2週間位悩み続けて結論が出た。

地震、津波に対する安全性など何も担保されていない原発を「地震多発地帯・日本」でこの先も続ければ間違い無く次の事故は起こる。

それを証明してみせたのが東電原発事故じゃないか。

次の過酷事故が起こった時、どう自分自身に言い訳するの?

人には「まさか起こるとは思いませんでしたよね~」など話を合わせる事は簡単。

けど自分自身は「知っている」

「仕事を失う事が怖くて声を上げなかった」自分の卑怯さを。

間違った事に声を上げられないって事は「原発を続けることも仕方ない」と黙認したも同然だと言う事を。

そんな自分を好きになれるか?

そんな自分と一生向き合って生きるのか?

「卑怯な自分もしょうがない、生きる為には」と自分を許せるのか?

そんな一生、地獄じゃないか。

僕には無理だった。
我慢出来なかった。

自分が声を上げれば世の中が変わる!なんて思っちゃいない。
そんな自惚れ屋だったなら、芸能界で20年も生きてられない。
とっくに潰れてる。

「売名行為だ」なんて言われる事もあるけど、収入激減する売名って何?(笑)

芸能界で踏み込んだ政治的発言をする事は「悪目立ち」でしかないのは子役でも理解できるよ。

スポンサーにがんじがらめの芸能界に生きてる人間であろうが、自分自身も「声を上げるひとり」に成らなきゃどうにもならない。皆で声を上げなきゃ行動しなきゃ、もうどうしようも無いとこまでこの国は、世界は、来てしまってるって事にやっと気付いたんだ。

今声を上げている多くの3・11デビューの人たちも同じ葛藤があったんじゃないかな。

「何故声を上げたのか」

こんな状況になるまで気付け無かった間抜けで情けない自分自身への憤り。
ツギハギだらけの目の前の経済を守る為に「人間を簡単に切り捨てる」事も平気な政治や経済界への怒り。
人の命に関わる事でもお金を守る為に、資金源のスポンサーを守る為に偏った情報しか流さないMediaへの不信感。

また長くなっちゃた(笑)

次回更新は「何故行動したか」でお会いしましょう!

7月3日(水)
三里塚の野菜の日
近くの保育園のお祭り
昼食は豚シャブ 三里塚のトウモロコシ
アッキー、頭スッキリ角刈りに 山本太郎の文を読みます
差し入れの鯵の干物 差し入れのサクランボ
夕食はゴーヤー・チャンプルー 塩麹キノコ鶏 ルッコラ・エビ・ミニトマトのレモン汁和え
三里塚のジャガイモを蒸かして
明日のポスター貼り頑張ります 東京演劇アンサンブル公演のポスター
「街」屋台、やりました

広大自治会選挙4日目!
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載
本日は東北大自治会委員長の青野くんが駆けつけてくれました!
青野くんの応援アピール! 4・25法大弾圧コンビである百武くんと
青野くんのツーショット!
投票所に新たな立て看板! 続々と投票が行われています!
「収入は10分の1。それでも『命』を守りたかった」――山本太郎氏(俳優)インタビュー http://www.alterna.co.jp/7764
福島第一原子力発電所の事故後、いち早く「脱原発」宣言をした俳優・山本太郎氏。事務所を辞めて収入は10分の1に減ったが、「人間に戻った」感覚を取り戻せたという。脱原発デモに参加するなど原発の危険性を訴え続ける山本氏に、その真意を聞いた。(聞き手・編集部=吉田広子、赤坂祥彦)
■きっかけは大震災、グリーンピースと母
 ――原発やエネルギー問題に興味を持たれたきっかけは何でしょうか。

山本:2011年3月11日に起こった東日本大震災です。それ以前は、原発については、発電で生成される核のゴミを地下に埋めて100万年単位で管理しなければいけないという程度の知識しか持っていませんでした。

震災以降、国際環境NGOグリーンピースのホームページ※などに掲載されている情報を調べ進めていくうちに、原子力発電は持続可能なエネルギーではないと気付きました。
(※編集部注: http://www.greenpeace.org/japan/ja/)

――グリーンピースをご存知だったということは、元から環境問題に対する高い関心があったのですね。

山本:僕の実家では寄付を行うのが当然という環境でした。お年玉のうち、いくらかは親に徴収されて、ユニセフや赤十字への寄付にまわされたのをよく覚えています。

8年前に母が「良い寄付先を見つけてきた」というので話を聞いてみました。それがグリーンピースでした。当時はグリーンピースに対しては捕鯨に反対している環境団体という程度の知識しかありませんでした。

それまでは自分の中では捕鯨反対をしている団体に過ぎなかったグリーンピースが、海洋生態系や森林の保全など多岐にわたる活動を展開していることも、企業にアプローチし、実際に状況を改善してきたことを知りました。

母は「人道的支援に対してはお金が集まるけれど、環境問題に対してはお金が集まりにくい」とよく言っていました。だからこそ、僕はグリーンピースに寄付しようと決めました。核についても8年前に出会ったグリーンピースのホームページから気付きを得ました。

ただ、当時28歳だった自分は、エネルギー問題について声を上げづらい立場にいました。自分の仕事に影響があると分かっていたからです。映画「バトルロワイヤル」を撮り終えた2年後です。仕事は順調でしたし、コマーシャルにも出演していました。社会問題に対して、声を上げるには、失うものが余りにも多いと感じていました。

ですから、声を上げられない自分の代わりに行動している団体に寄付をしてきました。それでも、原子力に対して深刻な危機感を抱いていた訳ではありません。
■猛烈に「生きたい」気持ちが湧き上がる
――3.11を経て、どのように意識が変わったのでしょうか。

山本:地震続き津波が発生して原子炉の冷却装置が停止しました。それを見て「死ぬかもしれない」と思いました。同時に、猛烈に「生きたい」という欲求が湧き上がってきました。

それまでは「生きる」ということを突き詰めて考えたことがありませんでした。「遅かれ早かれ死は訪れる。自分はそれを受け入れる」と腹を括ったつもりでいました。でも、違いました。実際に、生き続けるのが困難な状況に置かれた時に、猛烈に生きたいという気持ちが沸き上がりました。びっくりしました。

その直後に考えたことは、「国は、国民に事実を伝えるだろうか」ということです。事故後の対応でこの国の本当の姿が露(あらわ)になると思い、報道に接していました。案の定、政府や東電は「(放射能)はただちに人体への影響はない」と発表してきました。

あくまで国民を欺くつもりでいる国の姿勢が分かりました。その事も「生きたい」という気持ちに拍車をかけました。DNAレベルでの叫びですね。動物として本能的に「生きたい」と感じたのでしょう。
■脱原発宣言することで「人間に戻れた」
――始めて、「脱原発」を主張した時はどういった心境でしたか。

山本:怖かったです。勇気がいりました。発言すれば、確実に仕事がなくなるのは目に見えていましたから。食いぶちがなくなるのは一番怖いですよ。でも、いい役者になるという夢も同時にありました。そのためには10年後も生きていなきゃいけない。

日本は地震大国で、僕たちは地震活動期に生きています。それなのに原発は稼働している。国は国民の命を見捨てているとしか思えません。今後、日本人が生き延びるためには、原発を止める以外ありません。

仕事がなくなる。それでも声を上げるべきか。それができるのか。僕自身も毎日、自問自答を繰り返しました。

「お前は上げるべき声を上げずに、今の生活を守る気か。それは、原子力推進派や、自分の利益のために嘘の情報を流している人と同じじゃないか」。その問いを自分に投げ続けました。

「この先、健康被害が広がったときに、どう自分を騙すつもりだ」「死ぬまで、後悔せずに、自分に嘘をつき続けられるのか」を問い続けました。そして4月9日にツイッターで原発反対を表明しました。声を上げた瞬間、「人間に戻れた」と感じました。

――その後、事務所を辞められましたね。

山本:原発反対を表明したわけですが、ツイッターで意思表示をしたり、デモに参加したりする程度で、派手な行動は起こしていませんでした。取材陣が待ち構える中で、闘志を剥き出しにして、抗議をするようになったのは文科省前がきっかけです。

要は、被曝限度を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで引き上げて、子どもたちに危険を押し付けた。子どもたちの感受性は大人と比べて3~10倍です。子ども達に与えた毒の大きさ。平気で子どもたちの命を犠牲にするやり方に我慢ができませんでした。

子どもたちには死んでもらいますという政策です。「棄民」に他なりません。それを平気で安全ですといって、とやってのける。その国の姿勢に対して、怒りが爆発しました。
■僕が失ったものは「収入だけ」
――「脱原発」宣言をして、仕事が無くなる不安はありませんでしたか。

実際に、仕事の量は減りました。ただ、演技は一生、続けていきます。3.11以降、日本人、特に被災者は多くのものを失いましたが、僕の失ったものはハッキリ言えば収入です。10分の1以下に減り、初任給に戻ったという感じです。

逆に言えば、失ったのは「収入だけ」です。お金を払っても手に入れられないものを沢山、手に入れました。それは生きることに対して、真正面から真剣に取り組んでいる人たち、気骨のある大人たちとの出会いです。

――これまで参加したデモの数は。

山本:数え切れません。4月10日に高円寺で行われたデモに初めて参加しました。初デモです。

初めてのデモなので、正直、どういったものか分かっていませんでした。デモのイメージは「ジュラルミン、火炎瓶」というものでした。だから、デモに参加したいと言った母を止めました。母を守るために、二人が逃げ遅れる可能性を恐れたのです。

でも、高円寺に着いてデモ隊を見たときに、温かいものを感じました。こんなにもデモには愛が溢れているのかと。これがデモなのか、こんなにも同じ方向を見ている人がいるのだと実感できて熱いものがこみ上げてきました。
■デモを分散させるのはもったいない
 ――デモの意義はどこにあるとお考えですか。ご自身で何か団体を立ち上げる予定はないのでしょうか。

各団体を後方支援するために、自分では団体を立ち上げないつもりです。僕の役割は各団体をつなぐことだと思っています。正解は分からないですけれどね。

そして、皆、心が折れそうになる時があります。デモに参加することで、自分と同じ方向を向いて闘っている「一人」がこんなに大勢いるということを確認することにデモの意味があると思います。そういった「一人」がデモに参加することで再び活力を得て、戦いに戻るための場でもあると思います。

デモのもう一つの大きな意味は「数」です。数を揃えて、マスコミが取り上げざるを得ない状況にもっていくことです。それには同じ街で、同じ日に別の団体が2つも、3つもデモをやるのはもったいないです。

全国同時多発デモのような流れもありますが、人数を分散させるのは得策じゃないと思っています。例えば、品川に3000人、渋谷に5万人、神奈川、横浜には200人集まったとします。確かに、その街の人びとに問題提起されたかもしれない。でも、大切なことは視覚に訴えることです。

そのために一番有効なのはマスメディアを使うことです。だから、今回は東京で集まろう、その次は横浜で、という具合に遠征しながら、分散していた人数を集めるべきです。そして、「渋谷に6万人」「横浜で6万人」という既成事実を積み上げていく必要があると思います。
■政治家に原発の是非を問いたい
――デモに参加し声を上げることも大切ですが、投票などによって国を動かすことも大事だと思います。デモ以外に、政治家に働きかけることはしないのですか。

山本:今、政治家たちに対して包囲網を作ろうと、皆さんに呼びかけています。「仕事をちゃんとしなければ、落とすぞ」ということをハッキリと政治家に伝える。地元選出の国会議員に対して、電話をして下さい。秘書でも良いから、きちんとこちらの考えを伝えて下さい。

その時に伝えて欲しいことが3つあります。

1つ目は原発についての考えを聞いてください。その時に、重要なのは、長話にさせないことです。YesかNoに近い回答を求めて下さい。言い訳じみた、曖昧な答えを許さないで下さい。イエスかノーで意思表示させることが大切です。

原発について即時停止です、と言えるのは共産党だけです。ほとんどの議員は「段階的停止」と答えるでしょう。でも、僕はインチキだと思っています。エネルギーはもう足りている。これはハッキリしています。この後に及んで段階的停止をする意味があるとすれば、停止までの期間、利権に群がる人びとの懐を肥やすだけです。ですから、段階的停止と答える議員には注意が必要です。

段階的停止と答える議員には、そのスピードを問いて下さい。それと、その先のエネルギーの展望。僕は、原発停止までの間は火力発電でつなぐしかないと思っています。すぐに自然エネルギーで全てをまかなうのは現実的ではありません。研究やインフラ整備には時間が必要です。その間は、環境負荷の少ない天然ガスに頼ることになると思います。

2つ目は福島の「中通り」や茨城の北部、群馬、栃木の一部などの高線量地帯、高汚染地帯に住んでいる人たちについてどう思っているのか。その人たちを疎開させる案をちゃんと考えているのか、その案はいつ提出するのかについて尋ねて下さい。

政治家はお尻を叩かないと動きません。次の選挙を待っている間にも、刻一刻、被爆者は増えています。もし、その議員が高汚染地帯の住民に対する明確な考えを即答できないのならば、それが、その議員の人間に対するスタンスです。

そこに気付かなかった議員もいるかもしれないので、アイデアがなければ、政策にまとめるまでの時間の猶予を与えましょう。その代わり、その間の努力をチェックする必要があります。

最後、3つ目はガレキの拡散についてです。そして、最終処分地に関してどう思っているのかを尋ねて下さい。これについては皆、答えづらいはずです。反感を買うのはこわいですから。

僕が発言するだけでも、もの凄い数の抗議が来ますか。僕の考えでは、最終処分地は、福島の周辺20キロにとどめるべきだと思っています。こういう議論が一般の人びとの間でもっと盛んにされないといけないと思っています。そうでないと国が秘密裏にまとめあげた政策に基づいて、放射能をばらまかれてしまう。全国に汚染されたガレキを拡散させるのは愚行以外の何物でもありません。

日本全国で原発事故を発生させるに等しい行為です。埋め立てた汚染物質が地下水に流れ込めば、日本から汚染されていない土地がなくなります。それなのに、実行しようとしている。ばら巻こうとしている。そこには裏があるはずです。

――政治家にはどうアプローチするのですか。

山本:地元選出の議員の事務所に電話します。秘書が出たら、期限を設けて回答をもらってください。絶えず、問い合わせの電話が鳴るのが理想的です。

僕は、規模の大小を問わず、皆さんの前で話す機会がある時には「一番良いのはここにいる全員が電話をしてくれること。でも、そうはうまくいかないでしょう。この中の10人だけもいいから行動を起こしてくれると日本は変わります。全員が電話すれば必ず変わる。この町から日本を変えよう」と呼びかけてきました。

――20代の投票率向上を目指すアイ・ヴォートという学生団体があります。彼らは最近、自分の考えに近い環境政策を打ち出す政党を測定するサイトを立ち上げました。

山本:素晴らしい!僕たちも似たようなことをやろうとしています。僕たちは、議員に直接電話をして、そのやりとりを映像として、全国に配信していくことを検討しています。
今、そのためのホームページづくりを進めています。
■国民の「無関心」が今の社会を作った
――国民が何を求めていて、それに応える政治家に投票するというのは、ものすごく基本的なことで、選挙に行かなければ民意は反映されません。

山本:やはり、自分も含めた世間の無関心がこういう社会をつくってしまった最大の原因です。ほとんどの政治家はどっちが得か、を見ているだけです。

今、不条理を押し付けられている人びとに対して、手を差し伸べている人達は圧倒的に少数派です。無視されている状況です。同じように長期的なビジョンを持っている政治家も圧倒的に少数です。本当は長期的な視野を持ってこの国の舵取りをする人たちがいれば、いいけれど、実際はそうじゃない。

だから、政治家は風見鶏でも良いと思っています。でも、僕を含めた世間の無関心が社会を覆ってきたから、風見鶏が風の読み方を忘れてしまったのです。

だから、彼らに風の読み方を思い出させる必要があります。「風を読め、でないと落とすぞ」というメッセージをはっきり伝える。「次、落とす」ということをハッキリ伝える。一番、政治家が恐れていることをハッキリ伝えるのです。

――投票という国民の権利を行使していこうと広く訴えながら、政治家にも問いかけていくのですね。

山本:問いかけるだけではありません。ハッキリさせます。喉元に突きつけます。こんな社会にしたのは僕も含めた大人の無関心です。ただ、それ以上の責任が政治家にはあります。

だから、政治家一人ひとりの喉元に突きつけるのです。そうしないと手遅れになってしまう。中には「長い戦いになる」という方もいます。でも、僕はそうは思わない。一刻を争っています。すぐに答えを出させます。

――「反太郎勢力」を名乗る人びとにも直接会う理由は何ですか。
山本:彼らの真意を知りたいのです。

――なぜネガティブな発言を向けられると思われますか。

山本:結局、話しかけてきたのは一人だけでした。「お前、この2カ月見てきたけど、随分、楽しませてもらったよ」と。「その会場に来ても、趣旨とあわない」。僕がそこに行く意味がない。これから生きていくことを真剣に考えているひとたちが集う会場に、そういう人が押しかけても困る。趣旨が違う。

どういう意図で、ネガティブなツイートするのか分からない。会場にぶっとばしにくるのか、刺しにくるのか分からない。でも、話あってアジャストできるものならしたいと思ったのです。

トップギアでネガティブなエネルギーを僕に向けている人たちは、誤解がとければ、一緒になって戦える仲間だと思っています。同調して欲しい訳じゃありません。ただ、誤解を解いて、お互いニュートラルな気持ちで、生き延びるための戦いをしたいのです。あり余ったその怒りの力を貸して欲しい。それくらい事態は急を要しています。
■「脱原発」を世界に示すことが日本の役割
――ドイツやベルギーでは脱原発が進む一方、アジアではエネルギー大国の中国や巨大な原発産業を持つ韓国があります。日本以外の国の動きについてどう思われますか。海外の市民運動と連帯するお考えはありますか。

山本:原発は世界中の問題です。ですが、まずは自分の国を何とかしないと他の国に意見をすることはできません。このままでは、悪い例として残るだけです。今やるべきことは、「あれだけの事故を経験し、脱原発社会を実現しました」という姿を世界に示すことです。原発は不安定であるということを世界中に発信することです。

自然エネルギー社会までは火力発電でつないで、その間に、十分な研究をして、自然エネルギーでこれだけのものを生み出せるのだ、それによりこれだけの雇用創出もできるんだという姿を世界に発信したいですね。

転んで、そのままじゃダメですよね。転んだら、なんとしても起き上がろうとする姿勢が必要です。でも、今の日本は転んだままです。白骨死体化しつつあります。

原発の事故は、確かに最悪な出来事でした。でも、転んだ先にダイヤモンドが見えています。手を伸ばしてこれを掴むべきです。最悪な事態だったけれども、同時に良い方向に転換する機会を得たのです。そのための材料はころがっています。

――今後はどのような活動を予定されていますか。

山本:11月24日から12月25日までドイツ、ベラルーシ、チェルブイリを訪れます。一つは現地の市民運動のあり方を視察することです。日本ではデモ隊が3列から4列になっただけで、デモ参加者が逮捕されるのが現状です。不当逮捕です。

ドイツでは核燃料を鉄道で運ぶそうです。その鉄道が自分たちの町を通ることに抗議した住民たちが鉄道の侵入をおくらせる。抗議しても、逮捕されるようなことはないそうです。ドイツでは何かに抗議することは権利だそうです。だから逮捕にも相当しない。その成熟した社会での市民運動のあり方を見てこようと思います。
■子どもの人権擁護団体はなぜ原発に無関心なのか
――ドイツの記者からも、グリーンピースをはじめとする市民団体の力がドイツ政府を脱原発に向けて大きく動かしたと聞いています。

山本:フットワークが軽いですよね。3.11の時、「グリーンピースなにやってんねん」、「何も聞こえてけーへんぞ」とイラっとしていました。でも、違いました。彼らはきちんと根回しをしていたのです。オランダ政府に掛け合い、放射線測定の専門家に協力を要請していました。

3.11以降、本当の姿をさらしたのは、国だけではありません。人もそうだし、団体もそうです。それまで、グリーンピースは誤解されていました。でも、震災をきっかけに彼らの本当の姿を見てもらうことができた。それはサポーターとしてすごく嬉しいことです。

その一方で、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチといった世界中の人権に目を光らせていたはずの団体が、福島の子どもたちの問題に関しては大きなアクションを起こしていません。その事に対して、本当に強い憤りを覚えます。

日本で起こったことに対して声を上げる事ができない団体ならば、日本に支部を置く必要はありません。僕はヒューマン・ライツ・ウォッチの土井香苗代表宛に何回かツイートを送りました。

「福島の子どもたちの命が脅かされているのに声を挙げない理由を教えて下さい」「外国での活動は素晴らしのことは認めるけれども、どうして声をあげないのですか」と。

返事はありませんでした。皆さんの寄付から成り立っているのにやるべきことをやらない団体に対しても、政治家と同様、明確な回答を求める必要があります。是非、オルタナが切り込んでください。

ただ、そういった規模の人権団体でも活動を躊躇するほど、原子力産業の闇は深いです。
だからこそ、世界中のセレブ、例えば、ハリウッドスターたちはダルフールやチベット問題に関しての発言はするけど、日本の原子力に関して、そしてそれによる不利益を被った子どもたちに対しては何も言わないですよね。

他国でおこった大量殺戮に関しては手をさしのべるのに、日本で現在進行している大量殺戮に関しては声をあげない。それは、彼らも不利益を被るからだと思います。
動労千葉を支援する会のホームページから転載


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