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7月31日(水)
水曜は三里塚の産直野菜の日
みんな働きます
オカちゃん母から差し入れ


書類が届きました
昼食は新作・5分でできるエビカレー
ミモザ・サラダ 差し入れ2品
定番になった・トマト寒天
3時のオヤツ
夕食は生協の〆鯖で寿司 残り物のご飯に、生茸・白須・ツナ 甘いトウモロコシ
差し入れのゴマ豆腐など 長崎のレンコ鯛
納涼祭に行くので、「街」で着付け
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載
 
    全学連福島ブログ

7月30日(火)
昼食は豚肉の冷シャブ&豚肉の
生姜焼き、盛り
胡瓜の塩麹キノコ和え
トマト寒天
昼食後は定例の「前進」の読み合わせ。その後で、『革共同50年』の歴史の討論!
 革命的共産主義運動50年の到達地平、日帝国家権力中枢と闘った『革共同50年』の歴史
(一) 革命的共産主義運動50年の歴史で最高の勝利は、革共同破壊の工作者・希代のスパイ分子・荒川碩哉を、革共同が自らの手で摘発し打倒したことだ。このことを声を大にして、全労働者階級に報告したい。

 日帝国家権力中枢は、
スターリン主義の裏切りと一体で戦後革命を徹底的に絞殺した。日帝は、戦後労働運動を内部から外部から解体するために総力をあげた。しかし労働者階級は、60年安保闘争の敗北の総括から社・共にかわる労働者党建設の力強い歩みを開始した。この奔流は、何人も押しとどめることが出来なかった。

 日帝権力中枢は、
合法的・非合法的手段で革命的共産主義運動を破壊するために総力をあげた。しかし、70年安保・沖縄決戦、70年代対カクマル戦争、80年代国鉄・三里塚決戦は、闘う労働者・学生を先頭にすべての勢力を吸引して爆発した。帝国主義戦後世界体制は74-75年恐慌の爆発によって崩壊し、世界は戦争と革命の時代へ突入した。

 89年総評解散・連合結成、89年東欧スターリン主義、91年ソ連スターリン主義の崩壊、91年自衛隊の海外派兵(ペルシャ湾掃海艇派遣)、という超弩級の事件が次々と起こるなかで、日帝権力中枢は、ただ一点、
国鉄労働運動・動労千葉破壊と革共同の分裂・解体のために総力をあげた。

 国家権力中枢は、95年以来荒川をスパイ・工作者として育成した。この攻撃は2000年から本格化した。革共同の情報と分析、とりわけ動労千葉の膨大な分析を日常的に行っていた。しかし「党の革命」を経た革共同の研ぎすまされた階級的団結の力、「時代認識と路線」で一致した地区党の前進の中であぶりだされた。

 革共同は、希代のスパイ分子を革命党の団結した力で摘発し打倒した。日帝国家権力中枢の革共同破壊攻撃を根幹で打ち破った。

 膨大な自白文書のなかから、
革共同の存在の大きさ国鉄決戦の歴史的位置が逆に明白になってきた。

 大恐慌のもとで、3・11(大震災と福島原発大事故)は、日々プロレタリア世界革命以外に解決できない現実をつきだしている。プロレタリア革命の急接近のなかで、国家権力中枢のスパイ分子を摘発したことは
世界史的偉業であった。
 (二)第二は、革共同破壊のため、カクマルをつかった日帝権力中枢の大攻撃を撃破したことである。

 日帝国家権力は、革共同を破壊するために、カクマルを使い、
71年12・4反革命(辻・正田同志虐殺)を行い、74年1月破防法弁護団を襲撃し、75年3・14反革命で本多延喜書記長(当時)を言語に絶する卑劣な手段で暗殺した。しかし、革共同と闘う労働者・学生は、根底からの怒りをもって現代のファシストに一歩も引かず、反ファッショ解放戦争へ決起した。

 国家権力の意を受けたファシスト反革命に、反戦派労働者と学生は総決起し反革命の白色テロルに対決した。
革命軍を建設し、非合法・非公然体制を確立し、カクマルの白色テロ攻撃と闘った。

 この背景には70年安保・沖縄闘争の壮大な爆発がある。日帝国家権力は、70年安保・沖縄闘争の爆発に騒乱罪・破防法など、ありとあらゆる治安弾圧立法を駆使し攻撃をかけてきた。特に
69年4・27破防法弾圧で本多書記長らを逮捕したことは、国家権力と革共同の後戻りのない非和解的激突関係への突入を告げ知らせ、革共同は断固対決する体制に突入した。69年11月決戦から71年11月決戦の3年間で、労働者・学生を先頭に全人民が総決起した。

 本土では、日米安保同盟政策に対する階級的怒りが爆発し反戦派労働者を先頭に闘う人民は武器を持ち決起した。

 沖縄の基地労働者を先頭に、労働運動を基軸に戦闘的大衆闘争が燎原の火の如く燃え上がった。全国の大学で大学を占拠し解体する闘いが爆発した。

 70年安保・沖縄決戦は、
「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」の路線で反スターリン主義・革命的左翼が、独自に組織した歴史的決起だった。

 日帝権力中枢は、騒乱罪・破防法と数々の治安弾圧を加える一方、カクマルを使嗾
(しそう)して、革共同破壊攻撃をかけてきた。労働者同志は、死を賭して対カクマル戦に決起した。このなかで、74年5月前迫勝士同志(都職)、74年9月高橋範行同志(全逓中郵)、76年2月橋本秀次郎同志(反戦世話人、豊島郵便局)が不帰の人となった。多くの同志が傷つき倒れた。しかし、労働者同志は不退転の決意で勝利を求めて闘った。革共同は、カクマルを使った帝国主義国家権力の革共同破壊と労働運動破壊攻撃と徹底的に闘った。そして動労千葉と法政大学生運動を守り抜いた。

 これらの壮絶な闘いは反革命カクマルを追いつめ、1999年―2000年にかけてJR総連カクマルと中央派カクマルヘの分裂を強制した。

 闘う労働者・学生を、カクマルが白色テロルで襲う。これが70年代の日本階級闘争の現実であった。革共同は、国家権力の手先と身を粉にして闘ってきた。この階級的正義の戦争に対する、
卑俗な「内ゲバ」論は、日帝権力中枢の革命党破壊攻撃に手を貸す反動的主張であった。われわれは対カクマル戦によって帝国主義中枢の革共同破壊攻撃を粉砕したのだ。

 そして今日の大恐慌情勢を迎え、
新自由主義と闘う全世界の労働者階級と一体の決起が可能となったのである。
 (三)第三は、日帝権力中枢の全体重をかけた、動労千葉破壊、国鉄分割・民営化攻撃と全面的に闘い、労働運動の拠点を守るために動労千葉と共に歩んできたことである。

 80年代、世界的な新自由主義攻撃が激化した。レーガン政権誕生(1981年)、中曽根政権発足(1982年)、サッチャー政権(1979年)を、世界的な新自由主義攻撃として位置づけた。

 事実、レーガンの空港管制官の闘いへの大弾圧、サッチャーの炭鉱労働者への弾圧は苛烈を極めた。
 1985年中曽根政権は、「戦後政治の総決算」を標榜し、同85年10月「国鉄改革のための基本方針」閣議決定、86年11月国鉄改革関違法の閣議決定を強行した。

 日帝は、分割・民営化攻撃で、革共同と共に闘う動労千葉破壊に対する攻撃を激化させた。動労千葉解体・国労解体―戦後労働運動の一貫した中心であった国鉄労働運動の壊滅に全力をあげた。そのためにカクマルをその反革命先兵として徹底的に使った。  しかし
動労千葉は、国鉄決戦の戦場から一歩も引かず闘った
 ▼1882年国鉄・分割民営化攻撃を宣言
 ▼1885―86年、動労千葉、分割・民営化粉砕のストライキ闘争へ決起。
 ▼1886年11月、動労水戸組合結成。
 ▼1990年、1047名闘争の開始
 ◆1994年、運輸省、国労に対する202億円賠償請求取り下げ
 ▼1998年、「JRに法的責任はなし」の5・28反動判決
 ▼2000年、「4党合意」もとで、外注化へ全面屈服
 ▼2001年、動労千葉、「シニア制度」へ反撃開始
 ▼2002年、5・27弾圧、完全黙秘で闘う。暴処法攻撃を粉砕。
 ▼2010年、4・9政治和解攻撃に対する国鉄闘争全国運動の開始
 ▼2012年10月、外注化・非正規職撤廃にストライキ闘争
 ▼4人の闘争団の決起と国労組合員資格裁判
 たたかう労働運動の「新しい潮流」運動は、動労千葉の呼びかけで1994年9・18労働者集会をもって開始された。この「新しい潮流」運動は、階級的労働運動路線の確立と実践の推進軸の役割を果たしてきた。そして「大失業と闘う」「反戦・反侵略」「国鉄闘争を水路に連合路線と対決」「自社連立政権打倒・闘う労働者党を」の4本のスローガンをかかげ階級的労働運動路線の出発点となった。国鉄1047名解雇撤回闘争に関する1998年5・28東京地裁反動判決(JRに法的責任なし)が強行された。この反動判決は、国鉄分割民営化反対闘争の決定的な転換点となった。「新しい潮流」運動は、反動判決―国鉄改革法と全面対決する闘いを軸とした。この闘いは、1998年以来、全日本運輸連帯労組関西地区生コン支部・全国金属機械労組港合同・動労千葉3組合の呼びかけの11月集会として発展した。

 そして2003年アメリカILWU、韓国民主労総ソウル地域本部が参加し国際連帯の闘いとして前進している。2010年以来国鉄闘争全国運動と一体となり前進している。この闘いを土台で支えたのが、動労千葉の労働学校であり、マルクス主義の学習である。

 1998年5・28反動判決に怒りをもった三労組共闘が結成され闘いが開始された。2000年4党合意に反対し総決起した。2002年5・27の決起は、国鉄労働者の偉大な決起であった。 

 2010年4・9政治和解は、労働争議はやらない、裁判闘争は全部取り下げる、国労解体を進めるという、全面的な労働運動解体への道へ進む反動的内容である。これらの思惑をぶっとばして前進している。さらに4人の闘争団の決起をかちとった。

 2012年10月、外注化・非正規職撤廃闘争へ全面的に決起した。3・11情勢のもとでの、2012年動労水戸の外注化・被曝労 働拒否にストライキ闘争へ決起。そして、ついに「白石事件」引きずり出したのだ。

 動労千葉と革共同を分断し、階級的労働運動破壊にかけた、日帝権力中枢の動労千葉解体攻撃を打ち破って闘いを前進させている。
 (四)第四は、三里塚芝山連合空港反対同盟に対する破壊攻撃である。
 (五)第五は、星野同志への38年間の大弾圧である。
 (六)第六は、日帝権力中枢の福島抹殺攻撃と闘い、勝利へ向かって闘っていることである。
 結論は、日帝国家権力と激突して闘ってきた地平に徹底的に階級的に確信を持ち、誇りに思うことだ。それはスターリン主義と社会民主主義との激烈な党派闘争であった。それは、50年をこえる闘いの日々であった。しかし、胸をはって報告できる光り輝いた歴史だった。

 何故か、ひとえに
労働者階級と共に歩んできたからである。革命的共産主義運動は、青年労働者・学生が大結集し本格的発展期、プロレタリア世界革命の時代を迎えている。この道を、断固進もうと訴えたい。…続く
 今週号の「前進」宣伝用で引きうける人、購入する人がいました。
 教訓「キチンと提起すれば、キチンと買う!」 僕たちが決めつけてはいけない! 2013年決戦―山本太郎選挙戦を通じて、労働者が社会の主人公であり、「労働者階級の解放は労働者自身の事業である」(革共同綱領草案)ことを、闘いの中で急速につかんでいっている労働者階級が激増していることに確信を持とう。 誰が! 僕たちが、でしょう!!

 「前進」提起の中で、福島診療所・建設カンパ1万円を予約した人もいました。
3時のオヤツは差し入れのスイカ
夕食は残り物のご飯で鍋焼きビビンバ 寄せ豆腐、山形のダシと塩麹で 差し入れ神津島で釣ったイサキ刺身
差し入れのオリーブオイル

(参院の注目新人)切り捨て、何なんだ 山本太郎氏朝日新聞デジタル 7月29日(月)23時45分配信
■無所属・山本太郎氏(38)

 【聞き手・土佐茂生】――私の世代だと、山本太郎と聞くと、高校生でデビューした頃の「メロリンQ」を思い出します。気持ちのままをぶつけているようなダンスでした。

 「お、デビューの。そうですね。気持ちのままにという意味では、デビュー当時と今が近いのかもしれない。素人でしたから、怖いものがない。やりたいこと、表現したいことをやる、というスタンスですよね」
(参院の注目新人)切り捨て、何なんだ 山本太郎氏
インタビューに答える山本太郎氏
=東京都新宿区、杉本康弘撮影
――参院選では自民党が大勝する中で、無所属で約66万票を獲得しました。

 「一言で言うと、世も末と思いますよね。本当に、それぐらい、ちょっと暗黒時代に入っちゃってる。でも、投票率が低い中で自民党が強かったわけじゃない。投票による表現をあきらめてしまった人が圧倒的にいた。その人たちが違うアクションを起こして投票行動に移していれば、権力の偏りはもっとバランスを取れていた。その象徴的な東京選挙区で無所属で1議席取れたことは『変えていけるぞ』という象徴的な部分だと思う」

 ――昨年の衆院選では敗れた。政権を決める衆院選では、小選挙区制で2大政党を作るという仕組みです。どう思いますか。

 「投票率が80%ぐらいいかなければ、もう無効だ、という話ですよ。普通に考えれば、3・11の原発事故後の対応が最悪だったのが民主党ですよね。でも、その土台をずっと作ってきたのが自民党じゃないか。だから、危機感を持っている人にとって、選択肢としては、『どっちもないじゃないか』と思うんです。しかも、事故後、自民党は考えを改めたか、というと、よけいにもっと行こうぜ、という。あり得ない選択なんですよ。『やっぱり、もう無いなあ。何が選挙だよ、勝手にやってろ、お前ら』という風に有権者に思われているんですよ」

 ――「選挙フェス」といった独特の戦い方でした。

 「知名度だけなら、そこまで伸びなかった。本気度だと思う。事故から2年間、腹を決めてやったよな、と。自分の考えを、こいつに言ってお尻をたたいたら届けてくれるんじゃないか、という部分があったと思う。ビール箱に乗っているだけなら『必死やなあ、おっちゃん』と斜めにしか見られない。音楽が流れて心がちょっと開いて感受性の触角がちょっと伸びた時、本気の言葉がそこでつながれば大きく開いていくんですよね。今回、それで1議席、実を結んだ。これをいろんなところでやっていくことで、変えていけるんじゃないかな」

 ――「脱原発」の声をあげる葛藤はありましたか。

 「2人の自分がいた。声をあげたい自分と、あげたくない自分が闘っていた。毎日、眠りも浅く、寝言で『メルトダウン!』と言っちゃうぐらい。ダメだと思うことにダメだと言えないのは何なんだよ、表現の自由も生きる権利もなかったのかとわかってきた。『原発いらない。やめよう』ということを一個人として言うのがこんなにハードルが高いのか、と打ちのめされた時だった」

 「原発事故の3週間後にツイッターで脱原発の声をあげた。その瞬間、もう涙が止まらなかった。嗚咽(おえつ)を漏らしながら泣くという。なんか、こう、自由になれた気がしたというか、人間に戻れた気がした」

 ――その結果、芸能界からは干されました



三里塚芝山連合空港反対同盟 動労千葉 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議 労組交流センター
動労千葉を支援する会
3・14法大弾圧を許さない法大生の会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」
とめよう戦争への道!百万人署名運動
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